親が倒れて、1年

通勤に電車を使ってるんですが、
電車の窓から父が最初に救急搬送された病院が見えるんです。

しばらくそんなこと気にとめていなかったのですが、
父が倒れて1年が経ち、急に気になるようになりました。

通勤帰りの電車で、必ず目に着くようになったんです。

父がその病院に入院していたのは1ヵ月ぐらいの間で、
その後、別のリハビリ病院に転院し、3ヶ月ほどリハビリをしました。
それから、今のお世話になっている施設に移って早9ヶ月が経ちました。

もちろん、電車から見える病院に父がいないのはわかってるのですが。
父と一緒に救急車に乗ってこの病院に担ぎ込まれ、深夜まで付き添い、
その後何度も通った病院です。
ものすごく印象が強いんです。

コロナ禍のため、病院に行っても直接父には会えなかったのですが
オンライン面会というのがあって。
最初のオンライン面会で、必死になって呼びかけても
反応がなかった父を見たときのショックは忘れられません。

その病院の前の道路、私の家から実家に行く時にも通るんです。
病院の前を通るたび車の中で叫んでいました。
「お父さんの、バカーーー!!!」

いや、一番ひどい思いをしたのは父だってわかっていますよ。
好きでこんなことになった訳じゃないし。
もちろん、本人には言いませんって。

でも、以前も書いていますが、うちの実家、老老介護状態だったんです。
母が認知症になって、何度も病院に行こうと言っても断固拒否。
父が倒れて母が残され、認知症が一気に進み、母を施設にお願いするまでは本当に大変でした。

それから、
お金が見つからない
カードが見つからない
暗証番号は何番?!
預金通帳はどこ?!と、ものすごく苦労しましたから。

もう、世の中の全ての高齢の方と、そのご家族に言いたい。
別に財産を開示しなくてもいいから、
万一の時はここを見ろという場所を作って、
そこにある程度の現金と、キャッシュカードと、カード番号と、通帳の場所がわかるようにしてほしい。
本当、困るのよ。

父はやっていてほしかったことを何もしていなかっただけではなく、
余計なことはやっていて。
先日ブログにも書いた、あれです。お墓問題です。

この1年、本当に怒濤の日々で
あまりしみじみと考えたことはなかったのですが、
あれから1年か…と思うと何とも言えない気分になってしまうものですね。

ということで、皓々と光る病院を眺めながら家路につく日々なのでした。

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